こんにちは、ちわぷ〜です!
現在仕事で調べていて、たびたび記事をアップしている古墳時代後期ネタ。
思いがけずアクセス数を稼いでいて戸惑っていますが、本日でラスト!
今回は、私が調べているとある戦いの時に、ヤマト朝廷の頂点にいた、異色の天皇をご紹介いたします☆
「継体天皇の実像」 白崎昭一郎(著)
内容
地方より天皇の位に就いた異色の天皇、継体天皇を考古学的見地から浮き彫りにしてゆく。
継体天皇とは、一体何者だったのか?
まず、本日語る人物は、古代の事で、古事記と日本書紀でも大きく記載が異なる人物で、これから語る事はあくまで現段階で明らかになっている部分であり、それでいて学者達の間でも大きく意見が割れる、諸説ある人物だという事を冒頭に記しておきます。
そして本書は、その謎多き人物の実像に切り込んだ一冊です。
天皇とは代々受け継がれてゆくもの。
それは現代の日本まで続いてゆきます。
しかし、その天皇も何事もなく代替わりをしてきたわけではなく、古代まで遡ると不思議な出自の天皇がいました。
先代天皇がとんでもない荒くれ者で、後継を定めないまま崩御した結果、
少し遠い血縁で、地方(福井と言われる)から天皇になったのが、継体天皇です。
この継体天皇、実は複雑な出生で、尊い身分でありながら子供の頃は一時、親の実家に預かられていたとか。
それが継体の性格形成に影響を与え、後の歴史に反映されていったのではないかとの考察は興味深かったです。
じゃあ何をしたの?というと、当時は朝鮮での情勢が芳しくなくそこに奮闘したりもしたのですが、国内で一番大きな出来事は磐井の乱でしょう。
磐井の乱に関しては、こちらの記事にまとめております☆
当時まだ日本中に支配が行き届いていない中、朝鮮にも出兵していたヤマト政権を継いだ継体天皇。
想像の世界ではありますが、最大勢力でありながらも、まだ国内も不安定な中、上記の様な出自の天皇、当時は大王(おおきみ)と呼ばれていましたが、
その絶対的な地位にいながらも、継体天皇の出自では周囲の豪族も侮り、それがもしかしたら磐井の乱の一因だったのかも?などとも思いました。
結論的には、継体天皇は九州最大の勢力、筑紫君磐井の乱を治めて、ヤマト政権の支配を盤石にし、後の歴史に繋がって、今もそれは続いています。
もしも、継体天皇が筑紫君磐井に敗れていたら、天皇というものは今の世には無かったのかなぁ何て思うと、古代の事でも何だか急に身近に感じられる。
その出自や人生には諸説あり、今も研究がされていますが、あまり知られていないけどロマン溢れる人物です☆
まとめ
異色の天皇、継体天皇を様々な角度から考察し、実像に迫る内容です。
マニアックな人物ですが、なかなかロマン溢れる人物ですので、気になる方はぜひ調べてみてください☆
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こんな人にオススメ
継体天皇に興味がある方